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オムレタス
-2002-07-12 23:51:40
「ワハハハ! 燃えろ〜! 燃えろ〜〜!!」
確かにPセクトのヒットマン達は、 長束から “単細胞” と揶揄されるだけの事はあった。
殺された仲間の仇を報じてくれんとばかりに、 碌に思案も廻らさず放火の準備に取り掛かったのである。
アルマイト製の水筒に詰められたガソリンが撒かれ、 素早く火が点じられた。
もはや説明するまでも無かろうが、 山田家は余り建て付けの良くない、 相当に年期の入った木造家屋である。
少量のガソリンと云えども、 これを燃え上がらせる為には、 十分過ぎる程の威力を有していた。
果たして、 噴き上がった炎は瞬く間に勢いを得て、 見る見る天井に達した。
母屋二階が紅蓮舌に舐め尽くされるのは、 時間の問題と思われた。
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オムレタス
-2002-07-12 23:52:15
一方、 押入れの天井から屋根裏へ逃れていた長束は、 既に離脱行動中であった。
迷彩色のナップ ・ ザックを背負い、 ザイルの束を肩に掛けて、 層を成す埃と蜘蛛の巣にまみれながら、“第三匍匐” で移動していた。
有能な信頼すべきガイドに伴われて・・・。
外猫の “ゼロ” であった。
どうしてか長束に良くなついていた。
そして長束は、 この屋根裏の空間は、 深夜はゼロの徘徊経路となっている事を、 前々から察していたのである。
ゼロだけしか知らない、 外部からの通路が存在している筈であった。
ゼロに導かれて、 其処まで辿り着く。
無論、 人間が脱出する為には工具が必要となるだろうが、 それは最前Pセクトの “単細胞” を倒して調達済みであった。
一人でいる処を、 天井の板を外して頭上から急襲したのである。
・・・バールと鳶口を用いて破孔を拡げ、 一先ず屋根の上に出る。
其処から隣家の屋根にザイルを投じれば、 後はそれを伝って逃れられる。
好都合な事に路上では、 権力の “犬” どもとPセクトの “単細胞” どもが、 乱闘を繰広げている最中である。
そして更に・・・。
例によって御決まりの細工を施した “土産” が大いに役立つだろう。
(・・・間もなく “タイムリミット” だ。)
それは、 逃走の為の貴重な時間を与えてくれるに相違なかった。
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オムレタス
-2002-07-16 07:23:53
長束の “置土産” は、神代達三人のちょうど頭上・・・天井板一枚を隔てた場所で、 無機的にタイムリミットを刻んでいた。
更に、 猛烈な火勢が、 彼らから残り時間を奪い去ろうとしていたが、 気付く者はいなかった。
「フハハハ! 思ったか、 京三! わが正義の鉄槌を〜!!」
“タイムリミット” が来た。
「・・・罪の無い人民などいない!」
長束京三は猫のゼロと共に、 隣家の勾配の急な瓦屋根にジャンプすると、 すばやく傾斜を攀じ、 反対側へ身を翻した。
其の直後・・・。
地を揺るがす轟音を伴って、 山田家に最期の時が訪れた。
巨大な火柱と黒煙が瞬時に噴き上げ、 激しい爆風が路上の人々を襲った。
爆砕され、 宙に舞い上がった家屋の断片が、 容赦なく降注いだ。
爆発が収まった時、 母屋二階は跡形も無く消え失せ、 濛々たる黒煙が天に沖していた。
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オムレタス
-2002-07-16 22:44:16
銃弾は続けざまに四発発射された。
最後の一弾に微かな手応えが感じられた。
エレーナの射撃の練度は極めて高かったが、 標的の遁走する速度の方が、 遥かに立ち勝っていた。
無残に撃ち抜かれた畳が倒れた後には、 既に電送人間1号の姿は無かった。
エレーナは安全装置を確認すると、 拳銃をハンドバッグに収めた。
そして・・・すぐさま、 昏倒している老人に歩み寄って、 脈を取り始めた。
座敷の中央には、 一本の鉄パイプが突き立っている。
最前の大爆発の際、 ミサイルの様に屋根を直撃し、 天井を突き破って落下して来たのである。
Pセクトのヒットマンの物であろう。
切断され、 焼け焦げた両手首が、 猶もそれを掴んだままだった。
しかし、 そうした凄惨な光景を目の前にしても、 ハマチはもはや動揺しなかった。
信じられない事態の連続で、 一時的に恐怖の感覚が麻痺してしまった訳ではなく・・・。
現在のハマチにとっては、 祖父の安危こそが最重要の関心事であったのである。
「お爺ちゃん、 死んじゃうの?」
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オムレタス
-2002-07-16 23:19:06
「大丈夫。 思った程重傷じゃないようだわ。 気絶しているだけ・・・。 今救急車が来るから、 すぐ御医者様に診ていただけるわ。」
エレーナの言葉は、 多少の気休めを含んでいたかも知れないが、 幼いハマチを安心させるのに十分な効果はあった。
強張っていた少年の頬にようやく喜色が浮かんだのである。
「アイツって・・・。」
一瞬云いよどんだが、 思い切って聞いてみた。
「エスパー (超能力者) なの?」
「え?」
「今のテレポーテーションって云うんでしょ? パッと消えちゃったじゃない。」
「ううん。」
エレーナは微笑しながら、 軽く首を振ってみせた。
「超能力なんかじゃないの。 ちょっとしたトリックがあるのよ。」
「どうしてお爺ちゃんを恨んでるの?」
「少しオツムのおかしくなってる人なの。 ・・・いい事。 あなたの御爺様は、 誰からも恨まれる筋合いなんかない・・・御優しい、 とても立派な方なのよ。」
しかし、 次に少年の口から発せられた質問は、 エレーナを絶句させるものだった。
「また来るんでしょ? 今度は僕を殺しに・・・。」
エレーナは無言のまま、 両の腕 (かいな) で少年の頭を静かに包み込むと、 その髪を撫ぜ始めた。
ハマチの髪質はややカールしている。
やがて、 耳元で語り掛けた。
「何も心配しなくていいのよ。 みんなが・・・ちゃんと守っていてくれるから。」
「みんなって?」
「大勢の人達が・・・あなたの事を心配してくれているの。 あなたがまだ生まれる前からよ。 あんな危ない人なんか二度と近寄れないようにみんなで見張っていてくれるから・・・。」
「それに・・・あの人だって暫くは動けない筈よ。 御姉さんの撃った弾で怪我をしているに違いないもの。」
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オムレタス
-2002-07-18 23:55:28
「警察発表を総合しますと・・・過激派の活動家四名が死亡。 更に警官 ・ 活動家双方で二十名以上の重軽傷者が出ている模様です。」
其処は広壮な邸宅の一隅に設えられた茶室であった。
絵屏風で仕切られた空間に三人の男が端座して居る。
床の間を背にした、 一見厚生財団の理事長兼専務理事と云った印象の紳士が、 傍らの秘書から報告を受けている処だった。
下座に在って、 悠然と茶を立てている和服姿の老人は、 この邸宅の主であろう。
小柄で、 穏和な外貌は何処か僧侶めいていて、 ハマチの祖父のような陰謀家には見えない。
「山田家で危害を被った者は誰もいないのだな?」
「一家の中に負傷者は一人も出ていません。 母親は買物の為外出中であり、 子供達も未だ帰宅する前でしたので・・・。」
「それで御前の容態は? 回復の見込みはあるのか?」
「主治医の報告では、 御生命に別条は無いとの事で御座います。 ただ・・・。」
「ただ?」
「未だ昏睡から醒めず・・・。 縦しんば意識が戻られたとしても、 従前のような執務に就かれるのは、 もはや困難かと思われます。 また御高齢なれば何時容態の急変があるやも知れず、 依然予断は許されぬ情況かとも・・・。」
老人が、 沈痛な面持ちで口を開いた。
「何とも迂闊な事よの。 この期に及んで1号めの跳梁を許すとは思わなんだわ・・・。」
「御意・・・。 我らとて、 よもや彼奴めが逆襲に転じるなどと夢想だにしていなかった事。」
「エレーナ嬢は、 早くから1号の企てを察知していた様子で、 御前の身辺警護の強化を要請されていまして・・・。 警備部門が要員の編成を進めていた矢先でありました。」
「ともあれ・・・。」
老人は、 今立てたばかりの茶を振る舞いながら、 語を継いだ。
「このまま御前の再起が覚束ぬとなれば、 我らとしても相応の措置を講じねばなるまいの。」
「未だ頑是無い・・・年端も行かぬ童子を我らが事業の領袖に推すと仰せなのですか?」
「左様。 如何にしても “空位” は避けねばならぬ。 最年少の領袖を戴く事もまた止むなし。 今となって、 正統の血を継承するは其の童子唯一人であれば・・・。」
紳士の表情に一瞬翳りが生じた。
「・・・血塗られた事業ですぞ。」
秘書が相変わらず事務的な声で補足した。
「御幼少ながらに、 英明の資質を覗わせるとの報告を受けて居りますが・・・。」
老人は、 今度はみずからの茶を立てながら呟いた。
「何れにしても・・・子供の時間はもう終わらねばなるまいて。」
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オムレタス
-2002-07-22 23:45:39
七月になった。
大田区梅屋敷近辺に在った自宅が焼亡の悲運に見舞われてから、 二ヶ月後・・・。
山田家の人々は、 板橋区内に在る木造アパートの一室を寓居と定め、 六畳二間に大人数が身を寄せ合って暮らしていた。
世上の関心は其の間、 前総理ら日本の政財界トップを巻込む一大疑獄事件の捜査の行方にシフトして居り、 東京地検特捜部が何時前総理の逮捕に踏み切るのか、 其の動向が注目されていた。
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オムレタス
-2002-07-26 00:47:49
(何を今日は求めて生きた 淡い黄昏、街を優しく閉ざす〜♪)
どこからともなく、 BGMが聞こえて来る。
裸電球の明かりの下で、 山田家の人々が夕餉の膳を囲んでいる。
銘々の皿の上には、 野菜コロッケが二枚ずつ・・・。
「チェ! またコロッケかよ!」
食事の時間になると決まって毒付くのは、 長男で十歳になる六郎である。
「あの爆弾男のオカゲで、 世にも悲惨な一家になっちまったぜェ!」
「六ちゃん。 御食事中はいろいろ云わない御約束だったでしょ。」
台所に立って、 メロンに包丁を入れている長女の和子が軽くたしなめた。
大学卒業を来春に控えた和子には、 一家の中でも特別な待遇が与えられている。
現在は豊島区内に在る叔母の家に寄宿中の身であった。
「和子御姉ちゃん。 固い事は云いっこなしにしようよ。 ウチはもう “中流家庭” じゃね〜んだからさ。」
六郎は、 意に介する風も見せなかった。
「仕様のない六ちゃんね。 御母様が元気でいらした時には、 こんなじゃなかったのに・・・。」
和子は、 力なく溜息をついた。
母 ・ サナエは心因性の疲労が重なって倒れ、 現在も入院加療中であったのである。
「御父さん、 どうして会社辞めちゃったのかしらね?」
しばらくすると、 今度は高校一年の三女 ・ 岬が非を鳴らし始めた。
「さあな。 どっちにしても・・・。」
汁椀を啜りながら、 次女の双葉が受けた。
「もう済んじまった事だ。 今更、 俺達がとやかく云っても始まらないだろ。」
念の為に繰返すが、 双葉は “次女” である。
今年度から都内の美術大学に在学している。
ショートカットの髪型から服装、 話し方、 挙措動作に至るまで男っぽい。
一家の長 ・ 貴志は事件直後、 勤務先に辞表を提出していた。
事も有ろうに全国指名手配犯の同居を数ヶ月間も許し、 遂には死傷者二十数名と云う未曾有の兇変を招来するに至った責任は、 すべからく自分に帰するとの思いからであった。
「親父としては、 それで “ケジメ” を付けたって事なんだろうな。」
「だって、 納得行かないな・・・。」
岬は唐突に、 手にしていた箸と茶碗を放り出した。
それは卓上で打合い、 意外に鋭い音を立てた。
「何のかの云って、 ウチが最大の被害者なんじゃないよ! 報いなら十分受けてるわよ!」
「岬姉ちゃんの云う通りだぜ!」
六郎がまたもや勢い付いた。
この二人は何かと “ウマ” が合った。
「何たって全財産を爆弾で吹っ飛ばされたんだからな! 洒落になんねえや!」
「そうよ、 そうよ!」
更に、 四女の順子 (よりこ) と五女の合子 (あいこ) が声を揃えて同調した。
「大体、 警察の指名手配写真・・・」
「・・・全然似てないんだもんネ!」
二人は共に中学一年。 一卵性双生児である。
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オムレタス
-2002-07-27 14:29:18
タイミング良く、 和子がメロンを盛り合わせたトレーを運んで来たので、 岬や六郎の “恨み節” は中断された。
和子は、 双葉に小さな風呂敷包みを手渡した。
「ハイ、 これ御父様の御夜食。 悪いけれど、 また御願いするわね。」
「ウン! ちゃんと届けとく! バイクを走らせりゃすぐだからな。」
貴志は中堅の警備会社に再就職をしていた。
夜勤が多かった。
「和子御姉ちゃん、 そろそろ叔母さんの家の門限になるだろ。 後片付けなら俺がしとくから。」
「何時もごめんなさいね。 何にも力になれなくって・・・。」
「謝る事なんか何もないさ。 和子御姉ちゃんにとっては、 今が一番大事な時期なんだからな。」
双葉は、 染み透るような笑顔を見せた。
和子は手早く身繕いを済ませると、 妹弟達に別れを告げて山田家を後にした。
娘盛りと云うのに、 華やいだ雰囲気のまるで感じられないのが、 いじましく思われた。
束ねた黒髪が背中で揺れている。
すみれ色のリボンが鮮やかに眼を引いた。
その後姿を眼で追いながら、 六郎が岬に訊ねていた。
「和子御姉ちゃんさァ・・・。 大学出て・・・勤め始めたら、 ウチの家計援助してくれるかな?」
「援助して貰わないと困るのよ。 私だってちゃんと大学に進みたいもの。」
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オムレタス
-2002-08-01 05:56:36
「ハマちゃん、 どうしてるかなァ?」
食べさしのメロンを見つめながら、 末娘の奈々子がポツンと呟いた。
「メロン好きだったのになァ・・・。」
奈々子は、 今年小学生に成ったばかりの七歳。
そして・・・其のすぐ下が、 五歳になるハマチであった。
「あんな奴の話なんか、 もうするな!」
すぐ隣で聞いていた六郎が、 突然声を張上げた。
「自分一人だけ・・・金持ちの屋敷に引取られて行きやがって!」
六郎は、 話題がハマチの事になると、 何故か異常な迄の悪意を漲らせる。
「今頃は、 俺達の事なんかスッキリ忘れちまって、 メロンでもパパイヤでも、 たらふく食ってやがるに違いねえぜ!」
「ハマちゃん、 そんな薄情な子じゃないよ!」
「二ヶ月間電話一本よこさねえだろーが! もう俺達なんか知った事じゃねーんだよ。」
「う・・・嘘よ。 そんなの!」
奈々子は、 殆んど泣き顔になっている。
「・・・土台アイツは、 俺達と血の繋がらない “もらわれっ子” だからな!」
次の瞬間、 六郎の顔面に凄まじいカウンター ・ パンチがヒットした。
「ぐげッ!」
六郎は、 上体を大きく仰け反らせて倒れていた。
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オムレタス
-2002-08-03 10:01:25
(八百八街宵月明らかなり〜〜♪)
階下の住人が詩を吟じ始めた。
声調涼として、 朗々と響き渡る。
「十分に警告して置いた筈だゾ。 ハマチの事を悪く云ったら承知しないってな!」
「うぐぐ・・・! 良くもやりやがったな。」
六郎は、 有りっ丈の憎悪と敵意を込めた眼で双葉を睨んだ。
「ハマチはな、 素直な良い子だったぜ。 テメエみたいな根性の曲がった野郎とは月とスッポン程も違いがあるんだよ!」
六郎の視線を冷ややかに受け止めつつ、 双葉はアルトの声で凛然と云い放った。
(秋風処処に虫声を売る〜〜♪)
「みんなして・・・もらわれっ子の肩を持ちやがって・・・。」
突然起直った六郎は、 テーブルの端に両手を掛けると、 ソレを力任せに引っ繰り返した。
食いかけのメロンを乗せた皿が一斉に宙を飛んだ。
食器類が割れるけたたましい音響と、 恐怖に駆られた少女達の悲鳴が交錯した。
(貴人は解せず籠間の語〜〜♪)
「この・・・ド畜生〜ッ!」
顔を真っ赤に上気させた六郎は、 両の拳を振り上げながら双葉に躍り掛かって行った。
「ちょっと止めてよ、 二人とも!」
「内ゲバはもう沢山だってば!」
(総て是れ西郊風露の情〜〜♪)
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オムレタス
-2002-08-03 15:59:36
「今夜もアトラクションが始まりましたな。」
天井を見上げながら訊ねたのは、 連載小説の原稿を受取に訪れていた某週刊誌の編集者である。
「普段はとても良い子達なんだがね。 どうもやんごとない事情を抱えていると見えて・・・時々ああなる。」
時代小説家 ・ 雷 (らい) 響平は、 煙草を吸付けながら応じた。
既に灰皿には何十本もの吸殻が堆く積もっている。
最前まで 『江戸客裏雑詩』 を吟じていたのは彼であった。
浴衣姿にベレー帽。 金縁眼鏡。 オール ・ バックにした髪型。
誰の眼にも “大衆作家” と映る風体をしている。
「しかし、 連夜の事とあっては執筆の妨げに成りませんかな。 私が注意して参りましょうか?」
「あ、 いや。 それには及ばんよ。」
響平は、 煙の中から手を振って制した。
「一向気にならん性質 (たち) なもんでね。 それでなきゃ、 最初からこんな処に住まっては居らんよ。」
「はあ。 流石は懐の広い雷先生ですな。」
「むしろ僕にとっては、 良い刺激になってくれとるんだ。 モントリオールで開催中の五輪なんかよりずっとね。」
「モントリオール五輪以上にですか・・・。」
編集者は、 安物の扇子を忙しく動かしながら、 ふと話題を転じた。
「今年の夏は、 新聞社もテレビ局も報道担当はてんてこ舞いですな。 二正面での作戦展開を余儀無くされているのですから・・・。」
「二正面作戦かね・・・。」
響平は、 更に一本の煙草に火を着けた。
「もう一方と云うのは、 もちろん “目白御殿” の事だろうね?」
「そうです。 近日中に前総理に対して逮捕状が執行される公算が高まって来ましたので、 目白の前総理私邸前に陣取っている取材班は皆戦々恐々としている状況です。」
「君の処からも、 大勢出向いて居るんだろう?」
「報道局では総動員体制が取られていますからね。 政治部 ・ 社会部のみならず、 手の空いている部署から総ざらいで現場の支援に駆出されている有様です。 暇を囲っていられるのは我々文芸担当者位のものですよ。 ともかく・・・当日何が起こるのか予測も付かないと云うような異常な空気が醸造されている感じですな。」
「ふーむ・・・。 何時ぞやのように、 セスナ機にガソリン缶を積んで突っ込もうとする馬鹿者が、 また現れなければ良いがね。」
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オムレタス
-2002-08-07 22:10:38
“アトラクション” は呆気なく終了した。
猛然と突っ込んで来た六郎を、 双葉は紙一重で躱すと、 脚払いを掛けて、 いとも容易に転倒させた。
「ぐえッ!」
でんぐり返った拍子に、 六郎は後頭部を強打した。
「うへェ・・・。」
呻き声を発すると、 大の字になって伸びてしまった。
「きゃ〜ッ! 死んじゃった〜ッ!」
岬の絶望的な悲鳴が、 部屋中に響いた。
「双葉御姉ちゃんの人殺し〜〜ッ!!」
「ちゃんと手心を加えてあるから大丈夫だ! 軽度の脳震盪を起しているだけさ。」
「だって・・・!」
「・・・白眼剥いてるわよ!」
六郎の顔を覗き込みながら、 順子と合子の二人が震える声で叫んだ。
「コイツは生まれつき癇症だから、 普段寝てる時でも、 白眼を剥く習性があるんだ。」
「あ、 ホントだァ・・・。」
「・・・ちゃんと息してる。」
岬は、 へなへなと其の場に崩折れたが、 ややあって、 蒼白になった横顔を向けると、 またも “恨み節” を唱え始めた。
「双葉御姉ちゃん・・・。 あんまり酷いよ。」
眼に暗い焔がゆらめいている。
「六郎はまだ小学生なんだよ。 ちょっとぐらい口が過ぎたからって、 何もこんな仕打ちをしないでも・・・。」
「だから・・・これでも手加減をしてあるんだ。 本当はウエスタン ・ ラリアートを掛けてやる気だったんだからな。」
「御姉ちゃんだって、 六郎の事をとやかく云える立場なの? 高校時代は非行少女すれすれだったくせに!」
最後の一言で、 双葉は表情を険しくして妹を睨み据えた。
岬も居ずまいを直すと、 今度は正面から姉の眼を見返した。
双方の視線が空中で衝突し、 火花を散らしたかのように見えた。
「さてと・・・。 忘れない中に行って来ないとな。」
先に視線を外したのは、 双葉の方だった。
ポケットのバイクのキーを確かめると、 父の夜食の包みを提げて玄関へ向かった。
「心配しないでも、 俺が帰る頃には正気を取戻している筈だ。 ・・・今夜の損失は全て俺が補填するからな。」
割れた食器類の散乱した座敷は、 さながら嵐の後のような光景を呈していた。
岬は、 もはや放心の態で、 座り込んだまま動こうともしない。
順子と合子は、 六郎に付切りで介抱に勤しんでいる (と云っても、 団扇で風を送っているだけだが)。
奈々子は、 部屋の片隅に身を寄せて事態の推移を見守っていたが、 もう怯えている様子は無かった。
むしろ、 其の場に居合わせている三人の姉達の誰よりも、 落着いているように見受けられた。
玄関を出て行こうとしていた双葉が、 不意に奈々子の方を振向いた。
例によって染み入るような笑顔を見せた。
「奈々子も来るか? 一緒に。」
奈々子は、 三編みのお下げを大きく揺らして頷いた。
そして、 姉達の傍をすり抜けると、 急いでズックを履き、 双葉を追って外部階段を駆け降りていた。
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オムレタス
-2002-08-08 07:58:21
「いいか。 しっかり掴まってろよ。 絶対離すんじゃないゾ!」
ヘルメットを装着しながら、 双葉が念を押した。
「うん。」
奈々子は、 ちょこんと後部シートに跨ると、 か細い両腕を姉の身体に巻付けて来た。
スターター ・ スイッチがONにされ、 エンジンが始動する。
姉の背で、 奈々子は息を弾ませながら、 発進の瞬間を待っていた。
アイドリングの振動が期待を増幅させる。
バイクが風を捲いて走り出すのと殆んど同時に、 感嘆の声が上がった。
「ワア! お月様がきれい!」
正面の夜空に蒼白い月が浮かんでいた。
その月を追いかけるように、 バイクは夜の街並みを疾走して行く。
同じ板橋区内に在る大手印刷工場の守衛詰所が、 父 ・ 貴志の現在の勤務場所である。
風を頬に受けながらの走行はすこぶる爽快で、 奈々子は終始陽気であったが、 とある交差点で信号待ちをしている時、 急にしんみりとした調子で話し掛けて来た。
「ハマちゃんって、 御月様から来た王子様だったのかしらね?」
「え?」
さも意表を突かれたかのように、 双葉が振り返った。
「何となくそんな気がしたもんだから・・・。 御月様ってすぐ近くに見えていても、 絶対追い付けないでしょう。 ハマちゃんも御月様と同じくらい遠いところに行っちゃったのかなって。」
その様子は、 これまで見せた事の無い程寂しげなものだったので、 双葉は若干の動揺を禁じ得なかった。
「七夕様の時もね。 ちゃんと御願いしたの。 一度で良いから・・・またハマちゃんに会えますようにって・・・。 だけど、 とうとう叶えてもらえなかったな。」
「淋しいのか? やっぱり。」
「でも、 もういいの。」
次の返事は、 吹っ切れたように明るかった。
「ハマちゃんは御月様から降りて来て、 また御月様に帰って行ったんだって、 今度からそう思うようにしたから・・・。 ホラ! 御姉ちゃん。 信号青に変わったよ!」
妹から促されて、 双葉は視線を前方に戻すと、 アクセルを踏んだ。
数奇なる運命の下に生まれたハマチが、 何故平凡な中流家庭に過ぎない山田家で養育されていたのか、 其の事情に就いては後述するとして・・・。
ハマチが実の弟でない事は、 一家の中で末娘の奈々子にだけ秘密にされていたのである。
当然、 真実を明かされた時のショックは小さかろう筈も無く、 周囲はその心理的な影響を懸念していたのだが、 当の奈々子は至って気丈な性質であるらしかった。
岬や六郎の様に、 帰らない過去を追慕しながら、 現在の境遇の何もかもを他者のせいにして生きていくのは、 極めて安楽な事に相違なかった。
しかし、 奈々子の場合は異なっていた。
この聡明で人一倍感受性の豊かな娘は、 子供ながらに現実を見つめ、 それを避けられぬものとして受け容れようとしている。
そして、“喪失” に伴う傷の痛みから、 健気に立ち直ろうとしているらしい事に、 双葉は驚かされていた。
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オムレタス
-2003-01-03 09:55:25
その時、 夜空に瞬いていた星の一つが、 不意に流れ、 眩い閃光を放ったと見る間に・・・消えた。
「流れ星・・・?」
その一瞬の光芒を仰ぎながら、 奈々子は不思議な胸さわぎを覚えていた。
どこか・・・自分達の知らないところで、 新しい運命の波動が生じ、 それが日成らずして身辺に及んで来るような・・・。
そんな気がしてならなかったのである。
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オムレタス
-2003-01-04 20:31:35
小説家 ・ 雷響平は、 編集者の布田を見送るべく戸外へ歩み出て、 ふと見上げた西の夜空に・・・この流星の砕け散るのを目撃した。
「ほうー! あたかも前総理の凋落を象徴するかの様ですな・・・。」
布田としては、 ひとしきり政治談義に花を咲かせた直後だったので、 ごく自然に・・・こんな言葉が口を衝いて出たのである。
しかし、 星空を凝視する響平の表情は、 異常な迄に硬張っていた。
前総理の事など、 もはや念頭にはない様子であった。
「あれは・・・破軍星!」
その姿は、 恐るべき啓示を眼にしたものの様に微動だもしなかった。 v(^.^)〜♪
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オムレタス
-2003-01-08 22:46:17
(やれやれ。 今宵も雷先生の御家芸が始まってしまったか・・・。)
布田は、 安物の扇子を動かしながら、 苦笑していた。
響平には、 夜空に流星が降る光景を眼にすると、 それが凶変の予兆でもあるかの様に、 殊更深刻な表情を繕って、「破軍星・・・!」 と呻いて見せる “特技” が有るのであった。
何時もながらの困ったパフォーマンスと思っても、 フォローを怠らないのが編集者の務めである。
「モントリオールの日本選手代表団・・・今日も非勢に陥っている模様ですなー!」
そもそも・・・“破軍星” 自体が砕けてしまう事など、 まず起こり得ないのだ。 念のため。 v(^.^)〜♪
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オムレタス
-2003-01-16 00:07:55
同時刻、 東京都 ・ 神奈川県境――多摩川。
暗い河川敷を見下ろす土堤上に、 行脚姿の僧侶が佇んで、 西方の空に眸を凝らしていた。
「ジジイの “宿星” が墜ちたのかと思ったぜ。 ヌカ喜びさせやがって・・・!」
饅頭笠の下から、 野太い声が漏れた。
凡そ僧職とは思われぬ、 不遜な言動であった。
それは底知れぬ陰険な響きを帯びていた。
「山吹財団総力を挙げての延命治療が功を奏してもいるのだろうが、 ジジイめ・・・容易にはヘバらぬものだな。」
行脚僧の正体は、 物語の冒頭でハマチの祖父を襲撃した・・・ “電送人間1号” のコードネームで呼ばれる怪人物であった。
その面貌は笠に覆われて明らかではないが、 下顎の辺に残忍な笑みが浮かんでいるのを見て取る事が出来た。
(まあ・・・良かろう。 所詮は滅前の瞬きを保っているに過ぎまいからな。 今度は “ガキ” の方を料理してやる番だて。 たんまりと時間を掛けてな。 ぐふふふふ・・・。)
因みに、 時代設定は一応・・・1976年の夏と云う事にしてある。
したがって、 アザラシの姿は・・・ない。 m(^⊥^)m
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オムレタス
-2003-04-29 10:15:04
山田家爆破 ・ 炎上事件の直後・・・。
“宿命の子” ハマチは、 山吹厚生財団理事長 ・ 中山平四郎の養子に迎えられ、 目下八ヶ岳山麓に在る中山家別邸内で、 厳重警護の下に訓育を施されていた。
「別邸は “要塞” 同然・・・。」 との情報は、 電送人間1号も無論入手している。
邸内には、 警備員 ・ エージェントが多数配備され、 敷地の至る所に外部からの侵入を阻む防犯装置が張り巡らされていた。
また、 来訪者は幾重ものチェックをクリアしないと、 通用門を潜る事を許されなかった。
(今、 此方から仕掛けるのは・・・。)
罠を張って、 待構えている中に飛込むようなものであろう。
電送人間1号は、 正面強襲の愚行を犯したりしないのである。
(成らば・・・。)
向こうの方から出て来るのを待つ。
若しくは、 出て来なければならぬように仕向ける。
如何にかして、 あのガキを屋敷の外へ誘い出すのだ。
誘い出したなら、 それから後は何の造作もない事だ。
(この錫杖の一閃! それで万事は決する・・・。)
電送人間1号の頬に、 ぐふふふ・・・と、 またも残忍な笑みが浮かんだ、 其の瞬間。
背後の闇に何者かの蠢く気配を、 彼の鋭敏な神経は感じ取っていた。
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オムレタス
-2003-04-29 10:56:04
電送人間1号は、 瞬時に数メートル側方へ跳躍すると、 錫杖を翳して身構えた。
獰猛な野獣を思わせる身のこなしであった。
数瞬の間、 闇を凝視していたが、 声音を押し殺して誰何を試みると、 応答があった。
「1号殿、 遅れ申した。」
ややあって、 闇の中から二つの影が現われた。
何れも、 1号と同じく僧体である。
「・・・黒星か?」
痩身を揺らしながら歩み出て来たのは、 世にも異様な相貌の持主であった。
肉の削げ落ちた頬は、 死人の様に土気色で、 異常に窪んだ眼窩の奥から、 妖しい光が放たれている。
恰も、 骸骨が僧衣を纏って立っている様な印象があった。
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