夜。住宅地郊外の人気のない林の中。
周辺には、被害者と加害者を乗せてきた一台の車のほかには、音を立てるものとてない。
欲情に猛り狂う男がいましも、たおやかな女性を組み伏せ、おのがものにせんとするところだった。
その晩、しこたま飲んでいるらしい男は、酒に酔った振りをし、いや酒の力を借り、おのれの本性の下劣な部分をことごとく、被害者の前にさらけ出していたのだ。
必死で抵抗するかおりは、そんな相手に強烈な嫌悪を感じたが、いまや恐怖のほうが大きくなっており、さらにその感情も、じわじわと脳髄に沁みこむようなショックのため麻痺しつつあった。
「はあはあはあ……へっへっへ」
男は、押し倒した相手にまたがると、このような状況をみずからつくりだした臆病な男にふさわしく、いきなり股間から責めてきた。
男の手が恥丘を弄ぶのももどかしく、スカートをまくりあげ、腿の付け根の奥へと割り込むように突っ込まれる。
「いやーーっ!」
ついにかおりは、恐怖に恥辱をも忘れ、第三者には聞こえない、だが第三者を呼ぶための金切り声を上げた。
「やだったら! なんで、唐突にそこまでお下劣になっちゃうの?」
男はさらに、ハッハッハッと吐息も荒く、これ以上書けないような真似をやろうとする。あくまでも、イヤらしい目的をイヤらしい手段で遂げることにこだわった、イヤらしい野郎だ。
「人間じゃない、もう最低よ!」
「知らねえわけじゃねえんだろ? へはへはへは」
男は、かおりの顔に、熱く荒い息を吐きかけた。
ニコチンと酒とニンニクの匂いが混ざり合った、とんでもない悪臭だ。
かおりは失神しそうになったが、失神してはいられなかった。
闇の中どこからともなく、こんな声が聞こえてきたからだ。
「こらこら、そんなに急いで、どこを突く?」
男は、暴力的な快楽に制御をかけ、顔を上げた。
あきらかに、周囲の景色の中に余計なものがあるのを認めねばならなかった。
なにか長椅子らしきものに寝転がった格好の若者がひとり、闇の奥から、じーーっとこちらをうかがっている。
彼が身を横たえているのは大きな寝台のように見えたのだが、目を凝らしてみると、驚くべきことになんと、本当に寝台なのだった。
「なんでえ、てめえは?」
その若者はのっけから、この場の状況にはふさわしくないことを言った。
「人に名を聞くときは、自分のほうから名乗れ」
「なんだと!」
男の腹が決まるのと、相手がひとりだけなのを確かめるのとは、ほとんど同時だった。
てめえも一緒に始末してやらあ。
男は懐から、刃物を出し、抜き放った。
月光を受けてきらめくものはあろうことか、サバイバル・ナイフではないか。
若者のほうはそれがわかり、あきらかに恐怖を感じたようだが、逃げようとはしなかった。
強姦男は、相手のそんな様子から、恐ろしさで腰が抜けやがったなと都合よく解釈したが、実のところ、青年は判断に迷っていたのである。
むこうが刃物を出したなら、こちらも刃物で対するべきか。いやいや。それだと、こちらが力足らずだった場合、自分にとって可哀想な結果を招くことになる。
身の安全のため、こういう場合こそ、大に小を兼ねさせよう。
正義を守る行為は、ただ遂行するだけではなく、達成しなければならないのだ。
進は、ベッドのサイドから信じられない応戦手段、まさしくロケット砲を重々しく持ち上げると、男に向けた。
「受けてみよ。この巡航ロケット砲の恐るべき威力!」
「ゲゲッ!」
すでに漆黒とは感じられない立体感をもった闇の彼方から、男の突かれたようなうめき声が反応する。
「ヤロウ、きたねえぞ!」
「正義にルールはない」
進は、自分でもわけがわからない返答で応じた。ともあれ、ハッタリでもいいから、こちらが冷静な心持ちでいることを示さねばならなかった。
男は、被害者の娘を羽交い締めにすると、闇の中にほの白く浮かび上がるほっそりとした首筋にナイフを突きつけ、吠えた。
「貴様が手に持った、ごたいそうな飛び道具を捨てねえと、この女の命は……」
「やめて……」
進は、緊迫した。
しかし悪の根絶は、人質の生命を無視するところから始まる。
対テロリスト・マニュアルにおける、この第一原則を踏襲するにせよしないにせよ、とにかく、その通りに考え、実行するつもりであるのを見せしめることが、敵をいい気にさせないためには絶対必要なのである。
進は、正義の味方とは思えない言葉を口にすることで、自分の強固な意思を伝えた。
「一人殺すも二人殺すも、おなじことだ」
そして、狙いをつけた。
「なに?」
引き金は引かれた。
進の両手にかまえたロケット砲は轟音を上げ、ロケット弾を発射した――かと思いきや、弾は出ずに、砲体そのものが進の手から離れ、まるで巡航ミサイルのように、標的への精密な瞬時的計算に基づく融通の利いたカーブを描きながら、楯となった娘の身を巧みにかわし、男の下腹部を直打したのだった。
ボビューーン! バゴッ!
原始的な兵器だが、なんという効果的な戦果を期待できる兵器でもあるのだろう。
「うおーーっ!」
猛り狂った男は人質の女性を突き飛ばし、反転するや、駐車させていた車の中へとよろめきながら駆けこんだ。
どうやら、車で逃げるのではなく、車体を凶器として叩きつける算段らしかった。
巨獣のように発進した車は、恐ろしい加速度を付け、青年が身を横たえる寝台を粉砕しようと挑みかかってきたのである。
かくなるうえは、やむを得ん。もはや、正当防衛だ。
進は、手に残していたロケット砲の砲身以外の備品を投げつけ、身を伏せた(もともと伏せていたようなものだが)。
次の一呼吸のうちに、透明なドーム型の風防が、寝台の上部を覆い隠した。
グガッ! バボボーーン!
爆砕して、美しいガソリンの火玉を吹き上げる車。
乗用車はたかだか数メートル手前で爆発したにもかかわらず、青年の乗った寝台のほうにはまったく被害は及ばなかったのだ。
進は、気絶していた娘を抱え上げると、寝台の上に寝かせて、介抱をはじめた。
こういう場合でも、なんという便利な乗り物だろうか。
夜の通りを疾走する原子力ベッド「夢麿」。
進の傍らで意識を取り戻した娘は、すぐには状況を理解できるはずもなく、いくぶん錯乱ぎみの反応を示す。
「降ろして!」
「安心しろ。いま、きみを家まで送ってあげているところだ」
「だって……これ、ベッドなんでしょ?」
「ただのベッドじゃない、原子力ベッド、すなわち原子力で走行する超強化寝台車だ。しかも見ての通り、ツイン・タイプだ。定員もオーバーしていない」
「わたし、知らない男の人のベッドには乗らない主義なの。それに、原子力だなんて、環境マナーに反する」
「ちゃんと原子力マナーは守っている」
かおりの住むコンドミニアムの前で、「夢麿」は停車した。
寝台から路上に降り立ったかおりは、なにか言いたげである。
「あの……」
「礼はいい。それより、あんな夜道をひとりで歩いて帰るとは無用心だ」
「あなたが燃やしちゃった車、あれは、わたしのポルシェなの。さっきの男はわたしの部下で、家まで送り届けるところだったんだけど。素面の時はおとなしくて真面目な人だったし、歩けないほど酔いつぶれてたから、安心して乗せてやったわけ。それが、いきなり人格が変わっちゃって、わたしを車から引きずり出し、お目にかけたような振る舞いにおよんだ次第」
「よく聞け。レイプの責任の半分は被害者の側にある。強姦魔にやる気を起こさせるのは女の魅力なのだから」
「そんな論法、無法だわ」
「この世の中は、男と女が力を合わせて築かれる。犯罪が起こる場合でも、道理はおなじ。だから、きみもレイプ事件の共犯者のひとりだ」
「ひどい。世の中に貢献する仕事で帰りが遅れたのに」
「OLなんか、しているからいけない」
「わたし、ただのOLじゃありません。こう見えても、管理職<エグゼクティブ>です。研究所で主任をしています」
暴行されかけ、抑圧されていたプライドが一気に噴出したかのように、かおりは目の前にいる男に向かって、言葉の矢を浴びせかけた。
「なんの研究とお思い? 男を元気にする製剤の開発よ。すべての男を覇気ある男にして、正義の味方なんか必要なくなる世の中をもたらすのがわたしの願いだから!」
ひとしきりまくし立ててから、彼女はあわてて口をつぐんだ。
うっかり、企業秘密までしゃべっていたのである。
「正義の味方がいらない世の中……その日がくるのをだれよりも待ちわびているのは、このぼくだ」
かおりを残し、夜明け前の闇の中へ走り去っていく原子力寝台車「夢麿」。
進も、かおりを家まで運ぶよすがとした身分証明を返しそびれたことに気付かなかった。
そのとき、進はまだ、救った女性がやがて宿敵として自分に対峙する相手となることを知らない。
ほのかな想いを寄せはじめる存在として意識したにすぎなかった。