「皆様方には死んでいただきます」


第1回



「お願い、殺さないで!」
 若い女は悲痛な表情で哀願した。男は、彼女の声を聞き、彼女の顔を見たが、少しも感情を動かされる様子もなく、全裸に剥いた獲物の上におおいかぶさると、女の胸に、硬く握りしめた冷たいナイフをドスリと突き立てたのだ。
 美しい犠牲者のむき出しになった乳房の谷間から、熱い鮮血がほとばしり、画面の中を真赤に染めていく。

 ヒトコがテレビでこんな映画を見ていると、ジジイがつかつかと居間に入ってきた。
「おおっ!」
 ジジイはたまげて、声を上げる。
「またもや、こんな番組にうつつを」
 ヒトコはスナック菓子をつまみながら、平気な調子でソファに寝そべっていた。
「だって、放送してるんだもの」
「くだらんわい。嘘ばかり描きおって」
 ジジイは、ヒトコの手から無線操作器を奪い取ると、電源を切ってしまった。突然、画面から凄惨な殺戮の場が消え失せたテレビは、居間に置かれた家具のひとつでしかなくなった。
 ヒトコは、がっかりしたような声を出して、健やかな全身で伸びをする。
「あ〜あ」
 ジジイは、身を横たえるヒトコの前に立ち尽くすと、せき立てるように言い放った。
「奥の部屋へ来い。修行をはじめるぞ」 
「またあ?」
「日課じゃからな」

 仕方なくヒトコは起き上がり、ジジイのあとについて、広い屋敷を貫いて走る廊下を奥の間へと歩いていく。
 ヒトコは世間的には女子大生である。どこの大学かはまあ、どうでもいい。
 両親はいま、出張で海外にいる。当分日本に戻れぬため、東京での唯一の肉親である、このジジイが屋敷に預かって面倒をみようということになったのだ。
 ジジイの本名は八ツ坂人伍郎<やつざか・ひとごろう>という。
 しかるべき筋では通った名だが、十八歳のヒトコには、ただのジジイにしか見えない。事実、ジジイの生まれは大正十二年であり、まさしく正真正銘のジジイそのもの。
 しかるに当人は、自分のことをジジイとは思わず、「枯れた老兵」と詩的に自己評価していた。
 けれども、ジジイであることに変わりはない。もう、そう長くは生きられるはずがなく、臨終は目前だった。
 ジジイがヒトコに毎日仕込んでいる「修行」というのは、この年頃の娘たちが受ける生け花だ、着付けだ、といった平凡な花嫁修業のことではない。どんな修行かといえば――。

 ジジイの屋敷の「奥の間」は、普通の意味で「奥の間」と呼ばれる落ち着いた雰囲気の和室ではなく、床が板張りで造られた、なんだか柔道か剣道の道場のようなところだった。
 そこへ着くなり、ジジイは言った
「きょうは、新しい殺し方を教えてやろう」
 ヒトコは別に驚く様子もなく、そっけない返事を返した。
「もう、飽きちゃった」
「なぬ?」
「お祖父さまが教えてくれるのは、殺すことばかりで、未来への展望がないんだもん。これ以上、人殺しの仕方を覚えたって、就職や結婚で有利になるわけじゃなし」
「たわけ!」
 ジジイは、道場、いや奥の間全体を揺るがすほどの大声でヒトコを叱り飛ばした。
「孫よ、聞くがええ。よいか。人を殺す行為とはすなわち、人を救う行為にほかならぬ」
「だれを救うの」
「むろん、おのれをじゃ」

「人を殺す技、すなわち殺法を習得する者は、つねに時代とともに歩んでいかねばならん。敵に遅れを取れば、敵より長く生き延びれんからじゃ。逆にいえばな。殺法をきわめることこそ、時代に残されず、生き進むためのもっともナウいやり方というもんじゃが」
「とにかくヒトコには、お祖父さまのあとを継ぐ気なんてないの」
 ヒトコは、ジジイに面と向かっては「ジジイ」と言えず、きちんと「お祖父さま」とお呼びしているのだった。
「最初に断ったけど、おもしろ風変わりな感じなので、お祖父さまの秘儀を教えてもらうことにしただけ。いまの世の中物騒だから、いざという場合の護身術として役立つし。だけど、自分からだれかを、なんて気はないし、ゆくゆくは結婚して、普通の主婦におさまるつもり」 
「結婚して、普通の生活だと?」
 ジジイは、カラカラカラと笑ってみせた。
「甘い夢など、はじめのうちだけじゃ。十年もすれば、亭主を殺したいという衝動が周期的に訪れるようになってこよう」
「大丈夫。ちゃ〜んと、ハンサムで、スタミナがあって、いつまでも若々しく、愛が持続するようなお婿さんをもらうから」
「そういう奴にかぎって、やたらと浮気ばかりして、問題のタネをまき散らすものじゃ」
「余計なお世話よ」
「言ってしまおうかのう」
 ジジイは、意地悪そうな流し目をヒトコに送った。
「おまえの両親じゃがの。契りあって二十年にもなるが、あやつらの仲が破局的な境地へと至るほどこじれ、たがいに殺し合おうとしたことは一度や二度ではないんじゃぞ」
「うそ!」
 ヒトコの両親にかぎって、そんなことはありえない。娘の目にも、これ以上仲睦まじい中年のカップルはほかにいないのではと思われる熱愛ぶりだし、まさに表彰ものの夫婦生活を営んできたはずの二人なのだ。
 それは子供の頃から見せつけられてきたから、安心して保証できることだった。
 だが、ジジイは、そんな孫娘の内心を見透かして揶揄するようにペロリと舌を出した。
「わしだけは知っておる……二人とも、おまえと同様、このわしが仕込んだんじゃからな」
 信じられないことだった。ヒトコは、唖然として口を開けた。
「それなら、どうして二人とも、離婚もせずに生き残ってるのよ?」
「たがいの持つ抑止力のゆえじゃろう」
 ジジイは、むずかしいことを言い始めた。
「幸せな結婚生活が送りたければ、夫婦のどちらもが、相手の殺し方をきちんと身につけてから祝言を挙げるべきじゃ。いつでも相手には自分を殺すことができるのだという緊張感が逆に、たがいへの崇敬となって、愛の絆を強める。また、さように一目おきあうことが、失われた愛を取り戻すことにもつながる」
「お祖父さまの言うことって話にならない」
 だがジジイは、ヒトコの抗議に取り合わず、さらに話にならないことをほざいた。
「もともと、人生の真実などというものは話にならないものなんじゃ」



戻る